物流について書き続けてきた中で、
節目となる本稿では、あらためて「何を見ているのか」を言葉にしておきたいと思います。
物流は、
「運ぶ」「積む」「保管する」といった作業の集合体として語られがちです。
しかし私は、物流を
作業ではなく「責任構造」として見ています。
誰が、
どこまでを、
どの前提条件のもとで、
引き受けているのか。
この整理を抜きにして、
物流の議論が前に進むことはありません。
もしあなたが物流とは無縁の仕事をしていても、この話は無関係ではありません。なぜなら、あなたが今日手にしたそのコーヒーも、スマホも、『誰かが押し付けられた責任』の上を流れて届いたものだからです。
2024年問題の本質は「無責任体制」の露呈だった
2024年問題は、
労働時間規制や人手不足の問題として語られました。
しかし、より本質的だったのは別の点です。
物流が止まるリスクを、
経営として誰も引き受けていなかった
という事実が、
制度によって可視化されたことでした。
現場が調整する。
協力会社が無理をする。
担当者が頭を下げる。
その積み重ねの上に成り立っていた物流は、
もはや制度的に維持できなくなったのです。
作業として物流を見る限り、判断は必ず現場に押し付けられる
物流を「作業」として捉えると、
議論は必ずこうなります。
- もっと効率化できないか
- DXで何とかならないか
- 人を増やせないか
いずれも重要ですが、
すべて手段の話です。
本当に問われるべきなのは、
- その判断を誰がしているのか
- 判断に失敗した場合、誰が責任を負うのか
- 「できない」と決める権限は誰にあるのか
という点です。
日本企業で物流が機能不全を起こした理由は一つしかない
理由は複雑ではありません。
責任と権限が、構造的に分断されていた
これに尽きます。
物流は「現場部門」とされ、
最終判断は営業や経営にあり、
しかし失敗の責任は現場が負う。
このミスマッチが、
長年放置されてきました。
結果として、
誰も全体を設計せず、
誰も止める判断ができない構造が出来上がったのです。
2026年4月、物流は「経営の言葉」で語られる領域になる
2026年4月。
一定条件を満たす事業者に対し、
CLO(物流統括管理者)の選任が義務化されます。
これは肩書きを増やす話ではありません。
物流の最終責任を、
制度として経営に引き戻す
という意味を持ちます。
CLOとは何者か、
なぜ今必要なのかについては、
本日公開した特集第1回で詳しく整理しています。
👉 [【CLO特集第1回目】 CLO(物流統括管理者)とは何か - 物流業界入門]
CLOが負うのは「運ぶ責任」ではなく「止めない責任」
CLOは、
配車を切る人でも、
倉庫を回す人でもありません。
CLOが引き受けるのは、
物流が止まらない状態を、
事前に設計し、説明できる責任
です。
止まった後に謝る役職ではなく、
止まる前提で
どこまでを許容し、どこで止めるかを決める立場です。
判断するとは、「断ること」を引き受けること
責任構造として物流を見ると、
必ず行き着くテーマがあります。
それが、断る判断です。
- この条件では受けない
- この納期は約束しない
- この投資は今やらない
これらは現場では言えません。
しかし、誰かが引き受けなければ、
必ず現場が壊れます。
この「断る判断」を、
経営として制度的に引き受けるための役割がCLOです。
判断の好例は、すでに現れている
例えば、
- NXHDが不動産を手放し、機能に集中した判断
- 板橋ドローンフィールドが示した「物流施設の再定義」
これらはいずれも、
現場改善の話ではありません。
何をやらないと決めたか
どの責任を外に出し、どこを自社に残したか
という、CLO視点の判断事例です。
(※詳細は各記事をご参照ください)
物流を経営の手に取り戻す
物流は、
声高に語られるテーマではありません。
しかし、
放置してよい領域でもありません。
物流を作業として扱えば、
問題は現場に滞留します。
積み上げてきた現場の話、制度の話、判断の話を通じて、
今の私は物流を「作業」ではなく「責任構造」として見るようになりました。
物流を責任構造として捉えた瞬間、
初めて経営の言葉で語れるようになります。
このブログは、
その視点を共有するためにあります。
止めないために、何を決め、何を断るのか。
それを静かに考えるための場所として、
これからも書き続けていきます。